母の老いと娘の気持ち

実家

1年半ぶりに実家に行って会った母は、想像以上に年老いた姿になっていました。

親が老いる、という初めての体験に、少なからずショックを受けました。

まだ落ち着かない心のまま、心の内を素直に綴ろうと思います。


プロローグ


母が変わってしまった。

すっかり無力なおばあちゃんになってしまった。

…いつの間にこんなに変わってしまったのだろう?


コロナ禍以降、母とは数年に一度程度しか会っていません。

会うたびに年を取っていっていると認識していたものの、頭の中の母の姿はずっと元気な母のままでした。


でも、1年半ぶりに母に会い、頭の中の母の姿が、ガラガラと音を立てて崩れ去りました。


以前は実家に到着したら、母が

「よく来てくれたわね」

と言いながらコーヒーか紅茶を入れてくれて。

「今日は電車が混んでてさ~」

と、カップを手に持ちたわいのない話を始める…というのが当たり前でした。



でも、あれは、母が元気だったからできていたことだったんだ。

目の前の車いすに座った母は、もうお茶をいれてくれることはないんだ。


『もうあの当たり前は、すでに終わってしまったこと』

移住先の岐阜に戻ってきて、義母がお茶を入れてくれた瞬間、そう悟ったのです。


1年半ぶりの実家


1年半ぶりに、実家に行ってきました。

単身赴任中の父が実家に一時帰宅するというので、父の予定に合わせて家族3人で実家に行くことにしました。


自宅には、帰宅した父と、介護離職した弟、そして要介護の母の3人。


昼頃に自宅に到着し、弟が用意してくれていた昼ご飯をみんなで食べました。


変わってしまった部屋と庭


ふと自宅のリビングで、室内をぐるりと見渡すと、室内の配置が変わっていることに気づきました。


わたしの知っているリビングは、母が気に入って購入した籐で編んだダイニングセットが置いてあり、いくつか花をつけた植木鉢が常に置いてありました。

今は、真ん中に机がある以外本棚が壁面に並んでいて、母が車いすで移動しやすいように変わっていました。


ダイニングセットの長椅子でよく寝そべって本を読んでいた、あの長椅子が、なくなっていてショック。

変わっちゃったな…と思いながら、次は庭に目を移しました。


そうしたら、庭の木がほとんどなくなっていました。

ガーデニング好きだった母が植えた木々は、落ち葉や伸び放題の枝が近所迷惑になると判断した弟が、すべて切ってしまっていました。


わたしの結婚を喜んだ母がお祝いに植えた冬桜も、根っこからきれいになくなっていました。

かつて芝生だったところには草がもさもさ生えていて、青々と庭を囲っていた木々はもうない。


あまりの変わりように、呆然…。



その後家の中を少し歩いてみると、床は薄汚れ、鏡は曇っていて、トイレには落ちない汚れがこびりついていて。

かつて母が手を入れていた頃の面影が、全くなくなっていました。


今の母の様子


リビングに戻り、改めて母を見ました。


車いすに小さくおさまっている、母。

会話に参加するのでもなく、目が開いているものの、ぼんやりしている。

なんだか小さくなったな…と思いました。



ここ数年の母との電話で、話題によって母が急変する(突然激昂する)ことがあったので、母との会話に緊張するようになっていて。

何を話したら刺激しないかと考えて、普段行っているデイサービスのことを聞いてみました。

そうしたら、デイに来ているおしゃれな90歳のおばあちゃんの話をしてくれました。


趣味の俳句のことを聞いてみたら、まだ雑誌への投稿を続けていると話しました。


弟から聞いていた様子だと認知症の症状がいくつか考えられたけど、普通に会話をすることができて、少しほっとしました。


母からのプレゼント


長居をするのも両親が疲れると思い、そろそろ…という頃、母がわたしにプレゼントがあると言いました。


わたしに似合いそうだとシャツを買ってくれていたんです。

母の大好きな高島屋で購入した、シャツ。


もう、お茶も入れられない。

ご飯の用意もできない。

掃除もできない。

庭仕事もできない。

買い物も、もうすることがない。


そんな母が、通販カタログでシャツを注文しておいてくれた。

…何だか、泣きそうになりました。


母がこんな風におばあちゃんになってしまって、わたしはもう子どものように母に甘えることはできないんだ、と覚悟を決めていました。

でも、心のどこかで
「お母さん」
て思っていて。

そんな幼心がこみ上げてきそうになりました。


これからのこと


実家に行く前に弟が、母の施設入居を考えていると、話していました。


いつまで自宅で母に会うことができるのか、分かりません。

目の前の今の母を覚えておきたい、そう思って、別れ際に母と握手をしました。


乾いた暖かい手、でした。



まとめ


親が老いる。

それがどういうことなのか、よく分かっていませんでした。


実際は、想像以上に過酷で、切ないものでした。


今はまだ、心の中が混とんとしていて、落ち着いて受け止めきれていません。

受け止められる日がくるのかどうかも、分かりません。


でも一つだけ。

会いに行って、よかった。

会えることの重みを、今一番感じています。



補足

この記事は、年老いた母と娘のわたしの心情にスポットライトを当てて書きました。

本文に出てくる介護している弟の行動について、非難する気持ちは全くありません。

プライバシーに配慮すると細かい事情まで書ききれませんので、ご了承の上お読みいただけたらと思います。

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