移住することを決めるときに一番心にひっかかっていたのが、実母のことでした。
たくさん悩みましたが、それでもあの時母と離れることを選んでよかった、と今は思っています。
物理的に母と離れたことにより、わたしの持っている母に対する考え方が偏っている、ということに気づきました。
それまで近すぎて見えなかったものが、距離を置くことで見えるようになったんです。
今回は、母と離れることで気づいたわたしの4つの思考の偏りについて、お話しします。
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移住前の母子関係
まずはじめに、わたしが移住する前の、実母との関係についてお話しします。
実家の家族構成

わたしの実家は、移住前の場所から電車とバスで1時間くらいの場所にあり、同じ市内でした。
なので、行こうと思えばいつでも行けるような距離感でした。
実家には両親が二人で暮らしていました。
弟は実家の最寄り駅の近くで、一人暮らしをしていました。
母は15年ほど前に患った脳内出血の影響で左半身がマヒになり、リハビリのおかげでなんとか日常生活はおくれるものの要介護の状態です。
父は母の病院の送迎や食事の用意をしつつ、ずっと仕事を続けていました。
わたしは子どもが生まれるまでは2週間に1回くらいのペースで実家に行き、母の手伝いをしていました。
でも、子どもが生まれてからは子どもにかかりっきりになり、母の手伝いまでは手が回らなくなっていました。
それでも、頭の片隅で常に母のことを気にはしていました。
わたしの移住、父の単身赴任
そんな中で、わたしの移住の話が持ち上がりました。
しかも、時を同じくして、なんと父の海外出張の話まで出てきたのです。
家の中を歩くのもやっとな母を父は連れていけないと判断し、単身赴任すると言いました。
『要介護の母が、一人暮らしになる。』
そのことがわたしを悩ませました。
出口の見えない悩みや不満

『本当に母が一人暮らしなんてできるのか?』
『こんな状態の母を置いて遠くに行くなんて、ひどい娘じゃないだろうか?』
『このまま移住を決めて、本当に後悔しないだろうか?』
そんなことを何日もぐるぐると考えていました。
『なぜ父は要介護の母を置いて海外に一人で行ってしまうのか?』
『父は母が心配じゃないのか?』
『父は母より仕事の方が大事なんじゃないか?』
『近くに弟が一人で暮らしているんだから、母と暮らせばいいのに…』
父や弟に対して不満がむくむくと湧きあがりました。
悩みや不満を抱え、自分の考えをなかなか決められず、頭がモヤモヤでいっぱいになっていました。
1つだけ大事なことを選ぶと決めた
何度も何度も考えて…そして
「自分にとって大事なことを一つだけ選ぶのだとしたら、今の自分の家族のことを選びたい」
と思い、移住する決断をしました。
離れることで気づいた4つの思考の偏り
実際に移住してからも、母に関するモヤモヤはなくなりませんでした。
モヤモヤする気持ちを変えたくて、モヤモヤの理由を知りたくて、親子関係に関する本を読んだり動画を見たりして学びました。
知識が増え、自分の内面を知るワークを進めるうちに
『わたしの持つ母に対する思考には、偏りがある』
と気づきました。
その思考の偏りは、4種類ありました。
「わたしが何とかしなきゃ」
一つ目は、母のことを「わたしが何とかしなきゃ」と思いすぎている、ということ。
母が困ったときはまずわたしが動いて助けてあげなければならない、とずっと無意識に思っていました。
「母の言うとおりにしなきゃ」
二つ目は、「母の言うとおりにしなきゃ」と思いすぎている、ということ。
子どもの頃から「○○しなさい」と母から言われ続けてきたせいか、言われたことをそのままやることが当たり前になっていました。
反対して母が不機嫌になる方が面倒なことが分かっていたので、わたしの意に反することでも母の言うとおりにしていました。
「母の役にたたなきゃ」
三つ目は、「母の役にたたなきゃ」と思いすぎている、ということ。
子どもの頃から「お姉ちゃんだから〇〇して」と母から言われることが多かったです。
母から頼られて頼まれごとをやって、母の役に立ったら、自分が認められたような気持ちになっていました。
「わたしの好きなお母さん」
最後の四つ目は、「わたしの好きなお母さん」という視点をずっと持ち続けている、ということ。
母をずっと子どもの頃から見ている視点で見続けていました。
わたしの頭の中にある「わたしの好きなお母さん」像にずっと囚われていたんです。
変化した考え方
実際に離れるまでは、これらの思考の偏りは固定概念のように自分の中に埋め込まれ、自分がそう思っていることにすら気づきませんでした。
でも、母に対して頑なになっている部分を紐解いていったら、4つの偏りに行き着いたのです。
今は、思考の偏りが生まれた子どもの頃から、置かれている状況も環境も変化し、私自身大人になって考え方が変わりました。
もう、わたしがなんとかしなくても大丈夫。
もう、自分で考えた通りに動けばいい。
もう、お姉ちゃんとして母の役に立たなくてもいい。
そして、「お母さんは一人の不完全な大人だったんだ」と気づきました。
この気づきによって、自分の中で凝り固まったものが柔らかくほぐれていくような感覚が芽生えました。
まとめ

あのまま近くに住んでいたら、母に対する気持ちをどうにかしようと学ぶこともありませんでしたし、自分の持っている思考の偏りに気づくことはできなかったでしょう。
もし気づいたとしても、頻繁に母と会うことで気づきがリセットされていたかもしれません。
そして思考の偏りを持ったまま母のそばに居続けていたら、きっと未来に母のことでもっと苦しむことになったと思います。
わたしは、わたしの人生を思い切り生きたい。
母側に偏った自分の思考をまっすぐに戻すことで、よりピュアな思いで生きていけると思っています。



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