移住してから、人に会うと移住について何かと言われることがありました。
ほとんどは日常会話の延長で聞き流せることばかりですが、まれに気になる言葉をかけられました。
今回は、そんな心に引っかかった言葉の話をしようと思います。
カフェでのひと言

カフェでお茶をしながら、とりとめのない話をしていた時のこと。
何気ない感じで、相手が言いました。
「よく旦那さんについてきたね」
その瞬間、手が止まりました。
なんだろう。
今、何かが引っかかった。
「うーん、そうかな?」
曖昧な返答をしたあと、会話は別の話題に移り、そのまま何事もなかったように過ぎていきました。
でも、あのときの小さな引っかかりは、その後もしばらく心の隅に残り続けていました。
「ついてきた」という言葉
わたしは、夫に「ついてきた」のだろうか?
「旦那さんについてきた」と言われて、初めて考えました。
たしかに、きっかけは夫の言葉でしたし、移住先も夫の地元。
他人から見れば、夫の都合にわたしが合わせたように見えるのかもしれません。
でも、「ついてきた」と言われると、なんだかしっくりこない。
このとき、わたしの中で何かが動きだしました。
だって、この移住でずっと動いていたのは、わたしの方。
引っ越しの手続きも、子どものことも、義実家とのやり取りも、移住後の生活も。
情報を集めて、情報を精査し、スケジュールを管理し、手続きをするまで、ほぼわたしがやってきた。
次々浮かんでくる「わたしが」「わたしが」という強い気持ちに、圧倒されそうになりました。
付属品扱いされているように、感じていた

たぶん、わたしは、この移住に人生をかけていたんです。
大げさかもしれませんが、『そのくらいの覚悟でここに来た』と思っています。
表向きは「どこに行っても同じだよ」と軽く言いながらも、本当は、それまでの生き方を変えるつもりで、移住を選びました。
それなのに。
「よく旦那さんについてきたね」と言われると、その全部が、付属品扱いされたような気持ちになりました。
夫が主で、わたしは従、のような。
…相手はそんなつもりで言った訳ではなかったのかもしれませんが。
ですが、言われた言葉を思い返す度に、そんな風に思ってしまって。
なんだか…すごく、くやしかったのです。
最後に出てきた、わたしの本音
『くやしかった』
その言葉を目にした瞬間、ハッとしました。
ああ、そうか。
わたしは、軽く扱われたくなかったんだ。
わたしは、おまけじゃない。
そんな言葉が心から湧いてきました。
この移住生活を、何とか走り続けて、ようやく落ち着くところまでたどり着きました。
でも、そんな日々を振り返り、自分を労わることをしてきませんでした。
え?わたし、がんばったのに?
無視?
最後に湧いてきたのは、わたしのこんな本音でした。
この本音が隠れていたから、「よく旦那さんについてきたね」という言葉に、チリッと心が反応したのかもしれません。



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