「よく旦那さんについてきたね」に対する本当の答え

移住

移住のことを話すと人から「よく旦那さんについてきたね」とかなりの確率で言われます。

でも、この言葉を言われるたびに違和感を感じています。

今回は、この言葉を言われてわたしが感じている違和感について綴っていきます。

「よく旦那さんについてきたね」に対する違和感


人との会話の中で、わたしの地元である神奈川県から夫の地元である岐阜県に移住をした経緯をお話しすると、

「よく旦那さんについてきたね」

と言われることがよくあります。


きっかけが夫の言葉だったのもあり、夫が主張してわたしが受け入れた、とそこだけ強調して受け止められがちなんですよね。


でも、その言葉を聞くたびに

なんかちょっと違うんだなぁ

と心の底で思っています。


何が「ちょっと違う」のでしょうか。

「よく旦那さんについてきたね」の言葉の裏に、夫のわがままにわたしが我慢して付き添った…という被害者のような匂いがするのが、違うと感じるのかな?


「移住しよう」と話が出た当時のことを、少し思い出してみますね。


移住を決めるとき、これは押さえておきたいと思った


夫から移住の話が出て、本当に移住するかどうか悩んでいたとき、これは押さえておきたいと思ったことがあります。


それは、

夫と子どもがいない状態のときに、移住先の環境を楽しめるか?

ということ。


日常の多くの時間、転職が決まっていた夫は仕事に行きますし、小学校に入学する子どもは学校に行きます。

移住した後、何も決まっていないわたしは、日常の多くの時間をどう過ごすのか?

そこが楽しめるかどうかが大事かも…と考えていました。


なので

わたしは時間をどう過ごすのが楽しいのか

ということを、何度も考えました。


「おうちに一人でいても、これをしていれば楽しいんだ」ってものがあれば、どんな場所に行っても楽しめる、きっとどこに行っても大丈夫だろうと思ったんです。


考えて、考えて・・・1つの答えが浮かびました。


わたしなりの答え


浮かんできたのは

『絵を描くことができていれば、わたしはきっと楽しめる』

という、答え。


物心ついた頃からずっと絵を描くのが好きで、大人になった今も描き続けています。

こんな感じの絵を描いています)


絵は、パソコンとタブレットさえあれば、できる。

最悪、紙とペンさえあれば。


『あ、わたしの好きなことって、場所は関係ないや』

と思ったら一気に気持ちが軽くなって、

「まぁ、いっか」

と移住を決めることに対して硬さがとれたんです。


まとめ


きっと、わたし独りでの楽しみ方について考えておかなかったら、夫についてきたっていう思考によって傷つくことが多かったと思います。


でも、夫についていくというより、自分のやりたいことがやれていれば場所は別に家族の好みに合わせてもいいかって軽く決めたんだよねと思っていると、傷つくようなことはあまりないんですよね。


「よく旦那さんについてきたね」と言われたら、「そうですかね~」と返事をしています。

でも心の中で

大事なのは移動した場所のことより、今自分のやりたいことができているかなんです

と呟いているのです。

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